遠慮近憂 - 相場の終わりを意識する - 正しいバブルの踊り方

桃の節句
来月から小学校に通い始める娘の入学準備の品が続々と届けられている。真新しいランドセルを箱から出す傍らで、妻が雛人形を箱にしまっている。

「おい、そんなに急いで片づけなくてもいいだろう。もうしばらく飾っておけよ。」
「あら、だめよ。桃の節句を過ぎたら早くお雛様をしまわないとお嫁に行き遅れるのよ。」
「だからだよ。だから、わざと長く飾っておけ、と言ってるんだ。俺は、あの子を嫁になんか、やるつもりはないからな。」
「何ばかなこと言ってるの(笑)。あの子がお嫁に行くなんて20年も先の話じゃない。それより、それまであなたが健康でいられるかのほうが、よっぽど心配だわ。なにしろこれから小学校に入るのよ。先は長いんだから、しっかり稼ぎ続けてもらわないと困りますからね!」

とんだ藪蛇となった。確かに、「飲む・打つ・買う」のやくざな暮らしを永いことしてきた僕は、健康に関してまったく自信がない。このごろ動悸が激しくなることがある。あの女(ひと)のことを想うと、胸の鼓動がドキドキと高まるので、きっとこれは恋だ、恋に違いないと思っていたが、病院で調べたところ不整脈だった。

「恋かなと 思っていたら 不整脈」 (出所「シルバー川柳」)

自宅マンションの隣にスポーツクラブがあるので、ジムには頻繁に通っている。ジムでは器具を使って筋トレをし、バイクやランニングマシンなどの有酸素運動を組み合わせる。さらに週1回、加圧トレーニングをメニューに加えて、2年になるが、これがまったく効果がない。

なぜ効かないのかは、はっきりしている。食べるからである。しかも、鯨飲馬食。トレーニングが終わるとサウナへ直行、たっぷり汗を流した後はビールがうまい!ワインは赤白両方飲む。その後も焼酎、ウィスキーと寝るまで飲み続ける。その間、口にするのは「つまみ」どころではなく、しっかりとした「食事」である。肉、魚のたんぱく質、パスタなどの炭水化物、チーズなどの乳製品、いったい何カロリーになるのか恐くて計算したこともない。人間の体というのはシンプルで、基礎代謝と運動で消費するカロリーが摂取カロリーを上回ればやせるし、逆なら太る。ジムの運動で消費するカロリーなどたかが知れているから、完全に「摂取超過」である。

しかも、加圧トレーニングの直後は成長ホルモンが過剰に出まくっている。そこにカロリーを摂取して寝てしまうのだから(逆)効果てきめんである。相撲取りは原則、1日2食。空腹で激しい稽古をして、ちゃんこをたらふく食べたら横になって寝てしまう。つまり、僕は、相撲取りが体を大きくするのと同じプロセスを科学的に行っているわけで、これで太るなというほうが無理である。

脳をだます加圧トレーニング
加圧トレーニングをご存知ない方のために簡単に説明しておこう。加圧トレーニングは腕や脚の付け根にベルトを巻いて血流を制限した状態で筋トレなどを行うものである。血流が制限され酸欠状態となった筋肉は通常よりも乳酸(疲れを感じるもとになる物質)が多くたまる。すると脳はハードなトレーニングをしたと勘違いして、成長ホルモンを大量に分泌する指令を出す。これが短時間・軽負荷でハードなトレーニングをしたのと同等の効果が得られる仕組みである。つまり、脳をだますわけだ。

これと同じことがマーケットで起きている。アベノミクスを囃して株高・円安が進行したが、そのアベノミクスの3本の矢は、どれひとつとして未だ放たれていないのである。日銀の新正副総裁人事は、これから国会の同意をとりつける運びだ。「異次元の金融緩和」への期待は高まるが、その具体策はおろか、新執行部の体制すら決定されていないのが現状である。財政については、やっと12年度の補正予算が通ったばかり。13年度予算の国会での成立はゴールデンウィーク明けごろの見込みだ。成長戦略にしてもTPPは参加への交渉テーブルに就くかどうかというレベルの議論。戦略というものは実行に移して初めて評価されるのであって、その観点からは今は「序の口」の段階もいいところである。

安倍政権が掲げる政策で、実行に移されたものはひとつとしてないのである。実際に重いバーベルを持ち上げてトレーニングしたわけではないのに、脳がだまされて「その気」にさせられている加圧トレーニングと同じである。

こう書くと、なんだか否定的に聞こえるかもしれないが、その逆である。これは、すごいことだ、といいたい。激しいトレーニングを実際に行わなくても筋肉が鍛えられる。短時間・軽負荷でハードなトレーニングをしたのと同等の効果が得られるのなら、それに越したことはないではないか。アベノミクスもまさに同じである。短期間で最大限の効果を挙げているからだ。新聞などの報道によれば、実際に消費行動が起きている。円高修正を受けてハワイなどへの海外旅行予約が大幅に増えているほか、家具やワインなどの輸入商品も昨年末以降、伸び始めたという。価格が上昇する前に商品やサービスを購入する駆け込み需要が発生していると報じられている。

「インフレ期待」の効果
これはまさに経済学の理論でいう「インフレ期待」に働きかける政策の効果である。「インフレ期待」を醸成できるかどうかで政策の効果はまるで違うのだ。

アベノミクスの「2%のインフレ目標」を掲げる積極的な金融緩和に否定的な意見がいまだに多いが、集約すれば以下のような主張であろう。

<日銀はこれまでも金融緩和をずっと行ってきた。金利はすでにゼロ%近傍でこれ以上、低下の余地はないから金利で需要を刺激することは期待できない。量的緩和もこれまで行われてきたが効果があがっていない。それは需要不足のせいである。いくらおカネを日銀がばら撒いても、最終需要が弱いため銀行は貸し出し先がなく、結局、国債を買うばかり。おカネが市中に廻らず国債マーケットに滞留するだけである。だから量的緩和は効果がない。>

「最終需要が弱い」というのがポイントなら需要を作ってやればよい。おカネを使うようにしてやればよいのである。どのようにしたら人々はおカネを使うようになるか?それが「インフレ期待」を醸成させるということなのである。

デフレというのはモノの値段が下がること。相対的におカネの価値が高まること。「Cash is King (キャッシュ・イズ・キング)現金が王様」だから、みんなおカネを抱え込んで使わない。今日、モノを買うより、明日のほうが値段が下がるなら、今日おカネを使わないで明日まで待とうとする。それが明日、明後日、1カ月後、半年後…とどんどん先送りしていく。これがデフレ経済である。

それがもしも「インフレになる」と人々が予想したらどうなるだろう。インフレとはデフレの逆にモノの値段が上がること。相対的におカネの価値が下がること。人々がインフレ予想を持てば、おカネを手放してモノやサービスの購入に充てようとするだろう。それが実際に起きている現象である。

おカネに対する需要が減退し、モノに対する需要が増える。それがインフレになるということである。インフレになれば実質金利の高止まりが解消される。名目金利はゼロで張り付いて、ゼロ以下にはならないから、デフレのもとでは実質金利がプラス圏で高止まりしてきた。(名目金利 - 物価上昇率 = 実質金利。ここで名目金利がゼロ、物価上昇率がマイナスの場合、実質金利は物価上昇率のマイナス分だけ正の値となる。) これが企業の投資意欲を妨げてきた。インフレになって実質金利が下がれば企業の設備投資も動き出すだろう。

前述の通り、すでに一部で「インフレ期待」は醸成されつつあり、消費行動に表れている。そこに筋金入りのデフレファイターである岩田規氏が日銀執行部に入る。黒田・新総裁(候補)も積極緩和論者である。日銀が新体制のもとで「異次元の金融緩和」を打ち出せば、日本のデフレ脱却は実現できると僕は真剣に考えている。これは、ドラスティックに(=ものすごく)「日本が変わる」ということだ。景色が一変する。2005年にも小泉・郵政改革で日本が変わると期待が高まったことがあったが、その時とは比較にならない大きな変化である。端的に言って、日本経済と日本株式市場の長期低迷の元凶は「デフレ不況」であった。そこから脱却しようというのである。足元の日本株市場の上昇は大相場に発展する可能性を秘めている。

米国FRBの出口政策 - 最大級のリスク要因
では大相場というのなら、どのくらいの株価上昇が期待できるのか。週刊誌などでは2万円とか、なかには4万円(!)という説も飛び出しているようだが、正直、「分かりません」というのが本音である。1月21日付けレポート「幸せなマリアージュ」では14,000円~15,000円もあり得るとした。数字の根拠を持って(仮定して)示せるのは、現段階ではその程度がやっとだろう。しかし、その程度では「大相場」とは言わない。もっと上があるのだろうが、それは今の時点で「いつ」「いくらまで」とは言えない。ただ、ひとつ言えるのは、今回もまた最後の最後はバブル的な上がり方をして、そしてそれがはじけて終わるのだろうと思う。

企業業績の改善などファンダメンタルズの裏付けを伴っているうちは、いくら株価があがろうと、それはバブルではない。しかし、相場というものは行き過ぎるものだ。今回もまた、いつかファンダメンタルズを無視した価格形成が行われるのだろうという予感がある。業績が伴っていないのにバイオ関連株が急騰したり、土地の含み益があるというだけで土地持ち企業の株が買われたりするのは、80年代バブルやITバブルのときと同じである。すでに相場の一部にはバブルの香りが漂い始めている。

上述の1月21日付けレポート「幸せなマリアージュ」はじめ、いくつかのレポートで述べてきたことだが、今回の株価上昇の背景は、国内のアベノミクスという要因に、海外の景気回復という好条件がそろったことである。日本株だけでなく米国のダウ平均も史上最高値が目前に迫るなど世界的に株高になっている。それだけグローバルな投資環境が良好だということだ。そして、その根幹は何かと言えば、世界的な金融緩和であり、それによって生まれた過剰流動性がリスク資産を押し上げているのである。

その先駆けであり中心であるのが米国FRBによる量的緩和である。だから、その終焉はとてつもないインパクトをマーケットに与えるだろう。市場は、実はかなり早い段階からFRBの出口戦略をリスクとして捉えてきた。リーマンショック後の米国雇用統計の最悪時は2009年3月であり、その時、非農業部門の雇用者数は前月比で83万人減と最大の落ち込みを記録した。翌4月にはやや改善したものの70万人減少と依然、労働市場の悪化が続いていた。ところが5月の統計では35万人減と市場の予想を大幅に下回る減少幅に改善した。これは市場にサプライズを与え、米国10年債利回りは1日で17bps(ベーシスポイント)も急上昇したのである。今、思えば早すぎた「出口戦略」観測だったわけだが、リーマンショックから1年も経たないうちから、(しかも雇用者数が何十万人という単位で減少を続けていた状況下ですら)市場はFEDの出口論を取沙汰するものなのである。

今年に入ってこれまでFOMC議事要旨が2回発表されているが、そのいずれもFRBの量的緩和の縮小、もしくは終了に関する議論があったことが明らかとなり、俄かに市場で注目されるようになってきた。先週FRBのバーナンキ議長は半期に1度の議会証言を行った。バーナンキ議長が量的緩和継続を示唆したとして市場には安心感が戻ったが、僕はむしろFOMCは今後ますます出口政策の議論を進めていくような印象を持った。27日に行われた下院での議会証言で議長は「われわれはまだ出口戦略の見直しはしていない。しかし近いうちにしなくてはならなくなる」と出口政策の検討に言及した。一方、「金利を上昇させる最良の方法は金利引き上げを急ぎ過ぎないこと」とも述べている。つまり、景気回復のためには利上げをできるだけ遅らせるということである。これはまったく矛盾がない。利上げという引き締め策に転じるのは「先の先」だが、その前段で量的緩和を縮小・終了することは順序として正しい。だから、それについては近いうちに検討するというのである。

FEDによる量的緩和の終焉。それは市場に相当な激震を走らせることになるだろう。それが今後の相場で想定される最大級のリスク要因だ。それに比べれば欧州債務危機再燃などはリスクのうちに入らない。

市場がFEDの出口戦略にいかにナーバスになっているかをモニターするにはFF金利先物のイールド・カーブの変化を見るのがよい。米連邦準備制度に加盟する民間銀行が連邦準備銀行に預けている準備預金のことを「フェデラル・ファンド」という。その準備預金の翌日返済・無担保の貸し借りに適用される金利を「フェデラル・ファンド・レート」または「FF金利」という。米国の代表的な短期金利でありFRBの金融政策の誘導目標である。その将来のFF金利を予想して取引を行うのがFF金利先物でCBOT(シカゴ商品取引所)に上場されている。

各限月のレートを結んだイールド・カーブを見ると2014年10月物までが、FRBの誘導目標の上限である0.25%を下回っている。市場は概ね2014年、来年いっぱいは事実上のゼロ金利政策が続くと見ているのである。ところが、それ以降は緩やかに上昇しており2015年9月には0.5%に達している。つまり、2015年後半までには1回の利上げがあるというシナリオである。これが現在の市場が織り込むFRBの金融政策に関するビュー(見通し)である。これに変化 - 特にイールド・カーブのスティープ化(カーブが立ってくること) - が現れると市場がFEDの金融緩和の早期終了に懸念を示し始めたということになる。それは早晩市場の波乱を招くだろう。これからは今まで以上に注視していきたい指標である。
アベノミクス相場が終わるとき
世界的な過剰流動性相場の源である米国の量的緩和の終焉。それは確かに、ひとつの相場の「幕引き」となるだろう。日本株相場にも相当程度の下げ圧力が加わることを覚悟しておくべきだ。しかし、その時、日本株相場が仮にバブル的色彩を強めるステージにまで達していたとすれば、そこで「本当の終わり」とはならないはずだ。

第一に、米国の量的緩和の終了はドルの買い材料となるだろうから、日本株にとっては追い風である。

日本株がバブル的相場となった場合、その崩壊の引き鉄を引くのは、やはり日本の金融政策が引き締めに転じることであろう。そしてそれは、インフレへの懸念が過度に高まったときだろう。制御不能な「悪い円安」「悪いインフレ」という議論が太宗を占めるような状況であろう。

先週の日経新聞には「値上げの春」という記事が載った。<電気料金やガソリンなど燃料代の上昇に加え、鉄鋼、石油化学、繊維など産業素材でも値上げを目指す動きが広がってきた。円安による燃料や原材料の輸入価格の上昇を転嫁するためだ。政府は27日、製粉会社に売り渡す小麦価格を4月から引き上げると発表。製紙会社はトイレ紙やティッシュ紙の値上げも表明した。>

今の日本でインフレを実体験として知るものは現役世代に少ない。それが日本社会の弱点である。知らないから過度に恐れるということが無きにしもあらず、だ。長きにわたってどっぷりと浸ってきたデフレの世の中からインフレの世界へ転換するというのは、多くの日本人が忘れていた世界に戻ること、あるいは未体験ゾーンへの突入であって、その時世間一般にどんな摩擦や違和感が生じるか予想がつかない。今はまだデフレ脱却や円高の終焉を歓迎するムードだが、この「ムード」というもの、意外に移り気であることに注意が必要である。

現段階でFRBの出口政策の議論は時期尚早だと思うし、日本のデフレ脱却などまだ緒に就いてもいない。だから米国の量的緩和の終了や、ましてや日本の金融政策が引き締められるなどというのは、いったい何年先の話をしているのかと思われる読者もおられるだろう。

二つの事実を改めて指摘したい。
ひとつ。Time Flies (光陰矢のごとし)。時間は驚くほど、あっと言う間に過ぎる。事実、もう1年の6分の1が終わってしまった。「その時」が来るのは意外に早い。

もうひとつは、どんなに科学が進歩しても、われわれは天災の予測ができないのと同じで、マーケットの突発的な波乱を予想できるものは少ないということ。相場急変が予測できないとすれば、われわれにできるのは何か。これも天災への対応と同じで、来るべきマーケットの「暴風雨」に備えることである。シミュレーションを繰り返し、対応策を平時から用意することである。それには時間的余裕があるに越したことはない。

本稿のタイトル、「遠慮近憂」とは、論語の言葉で、遠い将来のことまで見通した深い考えをもたないでいると、必ず手近なところに身にさし迫った心配事が起こることをいう。

子曰「人無遠慮、必有近憂」
子曰く「人遠き慮(おもんばか)り無ければ、必ず近き憂ひ有り」

FRBが実際に金融緩和策を終了するのはまだまだ先のことである。しかし、その前からFRBは市場との「対話」を開始する。「対話」や「コミュニケーション」というものは難しい。恋人同士であっても、微妙なニュアンスが伝わらずにすれ違ったりすることがある。相手の何気ない一言に、傷ついたり、思い悩んだり、過剰に反応してみたりする。まして市場とFRBの「対話」なら、なおさら首尾よくいくとは限らない。ミスリードや誤解、過剰反応がつきものだ。それは相場の錯乱要因になる。遠い将来のFRBの政策変更を、今のうちからしっかりと念頭に入れておくことで、そこに至る経路で起こるであろう「ミニ・クラッシュ」への対応も違ってくる。「市場はFRBのメッセージに過剰反応するものだ」と腹をくくって相場に臨むのと、そうでないのでは大違いだ。無論、FOMC議事要旨の発表、要人発言などのスケジュールは全部、頭に入れておきたい。「人無遠慮、必有近憂」を反語と捉えよう。

3月になった。出会いと別れの季節である。出会いがあれば別れがある。始まりがあれば終わりがある。悲しむことではない。缶コーヒーのCMコピーではないが、出会う前に戻る。ただそれだけのことだ。

と、上の台詞をバーで飲みながら女性に語ったら、
「なに、一人で感傷に浸ってるのよ。キモいんですけど!『始まりがあれば終わりがある』って、あなたとは、そもそも、なーんにも始まっていないんですからね。」
「いや、いつかは『始まる』かもしれないじゃないか。そしたら、いつかは『終わり』が来るだろう。それを憂いているんだよ。」
「『いつか、いつか』って、そんな遠い先のことを言ったって。」
「子曰く、人遠き慮り無ければ、必ず近き憂ひ有り。」
「意味、わかんない。ばかじゃないの!」
と憤慨して出て行かれてしまった。3月はやはり出会いと別れの季節だ。

アベノミクスの相場は始まったばかり。大相場になる可能性を秘めていると述べた。しかし、大相場もいつか終わりがやってくる。今のうちから、大相場の「終わり方」を頭に描き、常に意識しておくのは無駄ではない。冷めた視点を持ち続けること。それが正しいバブルの踊り方である。

幸いなことに「その時」が来るのはまだまだ先だ。心の準備はじゅうぶんできる。しっかりと頭のなかでシミュレーションを繰り返そう。
「パパ、長い間、お世話になりました。いままで育てくれてありがとう。幸せになります。」なんて言われて、不覚にも涙を見せないように。

雛人形を片づけている妻にそう話すと、
「なに、一人で感傷に浸ってるのよ。20年も先の話だってば!」
「子曰く、人遠き慮り無ければ、必ず近き憂ひ有り。」
「意味、わかんない。ばかじゃないの!」
女とは、常に男のセンチメンタリズムを理解しない生き物である。

人を恋い 雛おき去りし 娘かな (中村伸郎)